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2013年12月20日 (金)

「深み」のある人間になんかならなくていいし(引き続きコメント)

>変わったことと言えば知っている。ということだけです。

「知る=体験する」ということにそこまでの価値を置く生き方は危険だと思います。

それは多くの人が「知らなければいけない=体験しなければいけない」ことでしょうか?

我が手で命を奪ってみないと、命や食べ物の大切さがわからない、っておかしくないですか?

普通の人間なら幼いころアリを踏み殺していてもある時点で気がつきます。このアリさんにだって家族がいるかもしれないよね、かわいそうだ、などと思って、そういうことはしなくなります。また日本のまともな家庭でまともな親に育てられていれば、食べ物を粗末にしてはいけない、という最低限の躾は受けてるはずです。

>命を食らうという点で深みがあるのはどちらだろうか。

失礼ながら「深み」のある人間になるために、死ななくてもよかったかもしれない生き物の命を奪うくらいなら、私は一生浅薄な人間で結構です、とすら思います。

なんだかこの手の発言を読むたびに「生き物の命を自らの手で奪うことによって、自分はある種の高みに達した、ワンランク上の人間になった」という自己陶酔が感じられて、結構な恐怖を感じます。職業としてこのようなお仕事をされている方は、おそらくこういう傲慢な気持ちは持っておられないでしょう。

スティーヴン・キングの『ファイア・スターター』という小説に登場するある人物は、人を殺す時に、殺される相手の瞳の中を覗き込むんです。その断末魔の瞳の中に、いつか必ず「真理」が見えるかもしれないと期待して。

人類は「真理の追究」の果てに原発なんていうものも作っちゃったわけですけどね。

ファウスト伝説の意味するところなども一考していただけると幸いです。

植物よりも、魚類よりも、はるかに人間に近い鳥類や哺乳類の命を奪う、という行為は感情的にハードルの高いものですから、それはやりとげれば達成感があるのは当たり前です。

その達成感を、あたかも自分がレベルアップしたかのように錯覚するのは、繰り返し申し上げますが危険なことだと思います。

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